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嬉しいニュース杉原記念館の存続

こんにちはnikoshibaです。

リトアニアの杉原千畝記念館が、コロナで入館料が減り、存続の危機に、、、旅行会社が呼びかけ寄付を募ったところ、寄付が集まり、存続が決まった。とのニュース。
存続危機の「杉原記念館」を支援 寄付金、1千万円超える(共同通信)

以前、映画で観ていたのですが、再度、ビデオで観直しました。

命のビザモニュメント

杉原 千畝氏は日本の外交官で、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた。

ドイツナチスの迫害に、ポーランドなど欧州各地から逃げてきた難民たちの窮状に同情しユダヤ人たちが、ヨーロッパから逃れるために、日本への通過ビザを求め、領事館前におしかけたのです。

杉原千畝氏は、悩みに悩み1940年7月から8月にかけて、外務省の「正規の手続きができない者に、ビザを出してはいけない。」という、ノーの答えに対し、外交官としての立場を失くすかも知れない中、自らの決断で大量のビザを発給し、避難民を救ったのです。


一人でも多くの命を救うためにと、書き続けた千畝は、領事館を退去した後も少しの時間も惜しんでホテルで渡航許可証を書きました。

約一ヵ月で書いたビザの総数は2139通になりました。それが、後に言う『命のビザ』と、なったのです。

1947年に外務省を解職となりましたが、1968年に救われたユダヤ人が当時のボロボロになったビザを持って現れ、杉原千畝氏に御礼を言いに日本まで来たのです。

杉原千畝氏が救ってあげた、ユダヤ人2139人の方々は、今、子孫が出来て数万人になって、その血が受け継がれてることを思うと素晴らしいと思います。

1947年、帰国した杉原を待っていたのは独断でビザを発行したことの責任による外務省からの解職。 1968年、杉原の許へ一人のユダヤ人が訪れてきます。彼はボロボロになった当時のビザを手にして涙をこぼして杉原に礼の言葉をのべたのです。

人の命とは尊いものですね。この人たちがもし、ナチスドイツに殺害されていたら、今は誰もいなかったわけで、現在に数万人、これから数十万人の人が命を繋いで行くと思うと感無量です。

そのリトアニアにある領事館(杉原千畝記念館)が無くなると記憶も薄れるので残して欲しいという人々が多くあったのは嬉しいことですね。思わず笑顔になりました。Happy smile( ^ω^ )

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