こんにちはnikoshibaです。
熊本県天草地方はキリシタン天草四郎で有名な地域ですが、それにまつわる歴史も多く有り、故郷を離れて数十年経つ今、少しずつ興味を持って調べる様になりました。コロナ禍が収束したのちに、観光で訪れられる際の参考にしてください。今回は「天草コレジヨ館」についてです。
天草(熊本)の歴史に触れる。「天草コレジヨ館」はどんなところで、どういう意味が
天草コレジヨの場所は、天草市河浦町にあったことを示す古文書が、英国の大英図書館に所蔵されていることが分かった。キリシタンへの迫害から逃れるために当時の宣教師の書簡にも残っておらず、市町合併で天草市になる前の旧河浦町と旧本渡市のどちらにあったか論争が続いていたのが、ようやく分かったらしく良かったですね。
天草の地に華開いた南蛮文化を詳しく、3年前に館長の福岡拓文 さんが紹介してくれました。
16世紀、日本で最初にキリスト教が天草に伝わったと言われていますが、天草のキリシタンの歴史といえば「天草島原の乱」ですが、460年程前、ルイス・アルメイダ神父による布教が開始され、島民の多くがキリスト教の信者となりました。
1591年「天草コレジヨ」が開校された。コレジヨとは学校の意味で天草コレジヨ館では、16世紀以降に河浦に伝えられた南蛮文化の資料を多数展示してあります。
特に、4人の遣欧少年使節がヨーロッパから持ち帰ったグーテンベルク印刷機(金属活字印刷機)、現在、在るのは複製ですが仕組みを聞くと当時では、大変な機械だったと思います。
それに貴重なバンブーパイプオルガン、琵琶や、鉄砲、使節団の服装などが展示されています。
グーデンベルクの印刷機による天草本の印刷・出版なども行われ、当時の日本で、天草は異文化交流の最先端の場所であったそうです。
当時のヨーロッパで作られた日本単独の地図には天草の地名も記入されています。16世紀に天草の小さな場所が知られているのは驚きです。
(当時の日本地図)
これ以外でも、地元の人が制作されたイソップの宝箱などが展示された、そんな資料館でした。もっと詳しくお知りになりたい方は、現地に行って、天草コレジヨ館、館長の福岡拓文さんの説明を聞いて下さい。
入館料と中味の濃い説明付きで、僅か200円でした。
アクセスは、熊本市内から車で約40〜50分で天草の入り口に入りますが、その後、五つの橋(天草五橋)を20分程かけて渡り、松島ICから有料道路で約10分で上津浦ICへ、そこから324号線を瀬戸橋まで15分程です。そこから橋を渡り、下島に入り、266号線を走り40分程度で天草コレジヨ舘へ着きますが、世界遺産になった崎津の天主堂も近いので(20分程度の距離です)帰りにでも立ち寄ってみてください。
googleマップより
天草コレジヨ館、http://hp.amakusa-web.jp/a1050/MyHp/Pub/
もっと知りたい方は、こちらで検索してみて下さい。
どこにあった?「天草コレジオ」の謎に決着か 論争60年超、英国に古文書
熊本県天草地方に1591~97年にあったとされるキリシタンの最高学府「天草コレジオ」の所在地について、現在の同県天草市河浦町にあったことを示す古文書が、英国の大英図書館に所蔵されていることが分かった。具体的な地名に言及した文書が確認されたのは初めて。天草コレジオの場所は、キリシタンへの迫害から逃れるために当時の宣教師の書簡にも残っておらず、市町合併で天草市になる前の旧河浦町と旧本渡市のどちらにあったか論争が続いていた。
古文書は、イエズス会のフランシスコ・ロドリゲス神父が書いた1601年9月30日付の同会年報。同会日本管区代表を務めた人物で、地元の郷土史家らでつくる天草キリシタン研究会(浜崎献作会長)が昨年11月、大英図書館所蔵の年報の存在を知り、東京大学史料編纂(へんさん)所から画像を入手。キリシタン史に詳しい慶応大の高瀬弘一郎名誉教授に解読を依頼した。
高瀬氏によると、年報にはラテン語で「天草の内のカワチノウラという地では彼らは慰められた。そこは迫害の時に、永年にわたりコレジオがひっそりと存在した地であった」(同氏訳)との記述があった。「カワチノウラ(河内浦)」は現在の河浦町を指す。
同時期の年報はイタリア・ローマのイエズス会文書館にもあり、これには天草コレジオに関する記述はないという。高瀬氏は「2冊の年報を子細に調べないと語ることはできない」とした上で「大英図書館の年報は、天草河内浦にかつてはコレジオが隠れて存在していたことを、重要な事実として言及している」と強調する。
東大史料編纂所の五野井隆史名誉教授は「大英図書館の年報の署名は、ロドリゲス神父本人のもの。イエズス会所蔵分は年報の書式体裁から逸脱しているので、書き改めたものかもしれない」と指摘。「(大英図書館所蔵の年報の)信頼性は高い」とみる。
地元の天草ではコレジオは本渡城下にあったとする説が主流だったが、郷土史家が1958年、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスが書いた「日本史」などの記述から天草コレジオは河浦町にあったと主張、論争に火が付いた。しかし、具体的な地名を記した文書が見つかっておらず、長年の謎となっていた。
論争の経緯に詳しい天草市の郷土史家堀田善久さん(99)は「今後は、遺物発見による天草コレジオの実像解明に期待したい」と話した。(金子寛昭)
【天草コレジオ】キリシタンの最高学府。1591(天正19)年、長崎・加津佐から天草に移転。当時、天草地方を治めた豪族・天草氏が誘致したとされる。97(慶長2)年、長崎に移転した。天正遣欧少年使節が欧州から持ち帰った金属活字印刷機を使い、日本で初めて「イソップ物語」や「平家物語」が印刷された。これらは「天草本」と呼ばれた。 西日本新聞より https://www.nishinippon.co.jp/item/n/582729/ 2020.2
コロナ禍ですが、先の項に書きましたが感謝の気持ちであなたも幸せになれるんです「幸せホルモン」をたくさん分泌し、健康に留意しスマイルライフを目指しましょうね。(^^)
国民一人一人が、三蜜を避け、手洗いや、うがい、マスク着用などの徹底をして、自己免疫を高めて感染を防がないとと思います。皆様が感染されないことを祈っています。
緊急事態宣言で規制をされた業者さんの嘆き、苦しみは想像を絶する
今回のコロナ禍で、医療従事者と関連の方々のご苦労に頭が下がります。感謝をしたいです。皆様も感染対策をなさって大変な生活だと思います。これ以上、感染が拡大しないことを祈っています。
そして、このサイトは小売業や、日頃の健康に関すること、そして、ミニ旅など、スマイルライイフを過ごすためのことなど書いています。
飲食業者さん、旅行業界、小売業など、経済は大変な状況ですが、こちらのサイトが、中小零細企業、個人企業の方々のヒントになり、業績が回復され、スマイルライフになれますようにお祈り致します。
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